津和野のご近所の親戚は、東京の媒酌人 - <森鴎外>家族への手紙など見つかる -
『<森鴎外>家族への手紙など見つかる』 04/11/05 毎日新聞 Excite エキサイト : 社会ニュース
森-鴎外-林太郎について、自分が以前から知っていたのは、作家で医者で軍人で津和野出身でドイツ留学したことがあるといったことでした。 その鴎外が『東京方眼図』を立案し、それを自分の作品「青年」の主人公に持たせていたのを知ったのは比較的最近のことです。 この東京方眼図、グルメ本等で「キッチンぽれぽれ 地図:P138 A-1」って、地図上にあるメッシュを特定する、今では当たり前の書き方の日本での元祖と云われているそうです。ドイツ留学のときに学んだ手法を『東京方眼図』に生かし明治42に刊行し、それを主人公の小泉純一に持たせた冒頭の「青年」は、雑誌「昴」の明治43年3月~明治44年8月にかけて連載されました。これってもしかしたら体のいい宣伝とも言えそうですね。(^^; 今回見つかった資料の中にも、「自ら歴史や地理の知識をまとめ、とじた「教科書」」があるそうで、鴎外の歴史観・地球観がうかがい知れるのではと思うと、その中身は興味深いモノがあります。 経歴を見ていて、鴎外は明治22年に結婚しているのですが、そのときの媒酌人が西周(にし・あまね)なんですね。西周といえば、今の自分たちが特に意識せずに使ってる多くの言葉を作った方ですね。>「哲学」・「心理学」etc.... (1/25,000 津和野) 森鴎外と西周というと、津和野の偉人列伝の2トップといっても過言ではないでしょう。 このお二人は生家が至近なばかりではなく、西周の父は森家からの養子だったそうで、お二人は親戚筋だったのですね。 #昔、修学旅行で行ったっけなぁ... 森鴎外の東京での邸宅は、水月ホテル鴎外荘・鴎外記念本郷図書館(観潮楼跡)となっています。 邸宅の場所は、先日お話しした「一葉記念館」と近いのですが、環境としては当時の「山の手」と「下町」と分類されているのが作品にも現れているのかもしれません。 話のリンクが止まらないので、今日はこの辺で。m(^^)m #あ、ちなみに、鴎外の「「鴎」は、正しくは「區鳥」だそうです。
by senokoba
| 2004-11-05 16:34
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いろんなことがいろんなところでおきています。そんな日々に現れる小さな疑問。その疑問は解決されるためにあるのか。それとも疑問は疑問のままがいいものもあるのか。それが疑問… by senokoba
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